函館のずれることなく気持ちを聴く専門サロン【聴き手サロンあいりす】のブログにご訪問いただきありがとうございます。
前回は共感の発信的側面(技術)がテーマになりましたので、今回は受信的側面(まなざし)に焦点を当てていきたいと思います。
ちなみに、これから書く内容は、あくまでもカウンセリング関係における共感のまなざし又は態度の話であるということをどうか心に留めつつお読みください。
さて、カウンセラーの共感のあり方をとらえようとする時、実は共感だけをとり出して考えるということはできません。
これら3条件を同時に満たしたとき、セラピーにおいて変容が起こるといわれているからです。
無条件の肯定的関心は「条件つきの肯定的関心」を否定したもの、と考えると分かりやすいです。
無条件の肯定的関心はその否定となるので、カウンセラーの視点や価値観に合致する時だけではなく、合致しない時もまた肯定的関心をもつまなざしや態度になります。
自己一致や無条件の肯定的関心について、何となく伝わりましたでしょうか…
この先は、日常的に使われる共感という言葉については単に共感、カウンセリング関係における共感を共感的理解と書いていきます。(引用文のみ例外です)
さて、みなさんがカウンセラーに重ねる共感のイメージとはどのようなものでしょう?
あたたかく、包みこむような、わかってくれる、いつも味方でいてくれる etc
だとするなら、前回の技術のみを切り取った記事には、少なからずショックを受けた方がいるかもしれません…
でも、今回の記事を通して「血の通ったまなざし」と表現した態度とはどういう事か、クライエントを共感的に理解しようとするその瞬間瞬間に、カウンセラーの内部でどんなプロセスが進行しているのかを知ればきっと安心されると思います。
ずばり言いますと、カウンセラーの共感的理解はとても感情移入的なものです。
クライエントの私的世界を、それが自分自身の世界であるかのように感じとり、しかもそれが「あたかも・・・のような」という性質を決して忘れない――これが共感なのであって、これこそセラピーの本質的なものであると思われる。クライエントの怒り・恐れ・混乱を、あたかも自分自身のものであるかのように感じ、しかもその中に自分自身の怒り・恐れ・混乱を捲き込ませていないということが私たちが述べようとしている条件なのである
「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」1957年
“クライエントの私的世界を、それが自分自身の世界であるかのように感じとり”とあるように、ロジャーズはとても感情移入的な理解の重要性を最初に伝えています。
それであってもなお、カウンセラーがクライエントの世界を完璧に理解することは不可能なのです。
それはなぜか?
カウンセラーもクライエントと同じように自分自身の内的照合枠をもっているのでクライエントの語りを聴いていると様々な思いがやってきます。自分だったらこう感じるなとか、こうとらえるなとか。
カウンセラーの態度として「共感的理解」「自己一致」「無条件の肯定的関心」を同時に満たすことが大切と冒頭でふれましたが
ロジャーズは、こうしたカウンセラーの内的照合枠の問題について重要なあり方をつけ加えました。それが「あたかも・・・のような」性質を忘れない、というあり方です。
“クライエントの怒り・恐れ・混乱をあたかも自分自身のものであるかのように感じ、しかもその中に自分自身の怒り・恐れ・混乱をそこに捲き込ませていない”という部分がそれにあたります。
実はこの「あたかも」によって、カウンセラーは自己一致しながら無条件の肯定的関心をもつことが可能になります。「あたかも」をセッションの中で意識するとき、私の心の風景を描くならこのような感じになるでしょうか、、、
私は私の内的照合枠をいったん脇に置きます。それは私の視点や価値観そして審判的態度(ジャッジ)など全てをふろしきに包んで身体の外に置いておくような感じです。
あたかもという性質を忘れないとは、つまり自分と他人を同一視しないことを意味します。
限りなく感情移入的でありながら、自他に境界があることで「無条件の肯定的関心」がかなう。自分の内的照合枠とは切り離されているため、私の思いや感じ方と違ったとしてもジャッジすることなく、相手の思いや感じ方はそうなのだと尊重することができるわけです。そして境界があるために私の思いや感じ方も同時に尊重されます。
このように「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」というカウンセラー側に必要な3条件を同時に成り立たせるために境界は欠くことができない要素です。
世の中には脳神経細胞のひとつミラーニューロン活性が高く非常に共感能力に長けた方が一定数おられます。
このようにロジャーズの理論をひもとけば、カウンセリングにおける境界が冷徹なものではなく、むしろクライエントの心に限りなく近づくためのセラピー上の要素であることがみえてくるものの
複雑な気持ちにさせてしまった方へ深くお詫び申しあげます。
カウンセラーが共感的理解のプロセスで何をどのように体験しているのか、そのあり方やまなざしがこの記事から少しでも伝われば幸いです。
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